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サントリー美術館
サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4 :六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
「東京ミッドタウン」 21世紀の日本を代表する街、世界に類を見ない独創的な街が誕生しました。


KUSUMI MORIKAGE From Adversity, a Gentle Gaze at Familiar Things

逆境の絵師

久隅守景

親しきものへのまなざし

 久隅守景は、江戸時代初期の狩野派出身者のなかでも、特に異色な経験を持つ絵師です。 守景は、狩野派中興の祖として知られる狩野探幽に師事し、探幽門下四天王の筆頭と目されるまでになりました。 私生活では、探幽の姪・国と結婚し、二人の子供を儲けますが、娘の雪信は探幽の弟子と駆け落ちをし、息子の彦十郎は佐渡へ島流しになるなど身内の不祥事が続いたため、探幽のもとを離れたといわれています。
 狩野派という後ろ盾を失い、家族が離散状態になった逆境のなかでも、守景は描くことを止めず、精力的に制作を続けます。 晩年には加賀藩前田家の招きで金沢に滞在したと伝えられ、旧加賀藩領域を中心とした北陸地方には、代表作が多数残されています。

 手掛けた作品は、山水画、人物画、花鳥画、仏画など多岐に渡り、とくに農民風俗を詩情豊かに描き出した 「耕作図」 において独自の世界を確立しました。 穏やかな自然の風景や愛くるしい子供たち、動物たちを捉えた描写からは、身近なものに注がれる温かなまなざしが感じられます。 また、何気ない日常の家族の団欒を描いた最高傑作 「納涼図屏風」 は、晩年の守景が到達した極致といえます。 狩野派の筆法を基盤にしながら、雪舟流の水墨表現とやまと絵の表現を取り入れたその画風は、当時一世を風靡していた瀟酒淡麗な 「探幽様式」 とは異なる、守景ならではの特徴を示しています。
 生前より画名が高く、作品も少なからず現存している守景ですが、意外なことに、家系、出自、生没年など、彼の生涯について詳しいことはわかっていません。 さらに、年記を添えることがほとんど無かったため、制作時期の基準となる作例が極めて少なく、画業の変遷をたどることも容易ではありません。 まさに 「謎の絵師」 といえます。


会期: 2015 10/10(土)~ 11/29(日) 展覧会は終了しました。
※作品保護のため、会期中展示替えを行います。
休館日:毎週火曜日 (ただし 11月3日は開館)、11月4日(水)
開館時間:10時~18時
※金・土、および 11/2(月)、11/22(日)は20時まで開館
※いずれも入館は閉館30分前まで ※shop x cafe は会期中無休

会場:サントリー美術館 六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階



'2015 10_9 プレス内覧会の会場風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「逆境の絵師 久隅守景」展

「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展
プレス内覧会 & プレス説明会
サントリー美術館 '2015 10/9


謎多き絵師 久隅守景 その画業と波乱万丈の生涯をたどる。

「展示構成」
本展覧会 「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」 展 図録および 「News Release No. sma0013」 「Newsletter vol.257」 より抜粋して掲載しています。

「展示構成」
第1章 狩野派からの出発
第2章 四季耕作図の世界
第3章 晩年期の作品―加賀から京都へ
第4章 守景の機知―人物・動物・植物
第5章 守景の子供たち―雪信・彦十郎


知恩院小方丈下段の間《四季山水図襖》久隅守景

第1章 狩野派からの出発
 久隅守景は、狩野探幽に入門し、早くから頭角をあらわします。 探幽の名である 「守信」 から一字拝領して守景と名乗り、絵師としての人生をスタートさせると、鶴沢探山、桃田柳栄、神足常庵らとともに探幽門下の四天王と称されるまでになりました。 また、探幽の姪を娶り、師と姻戚関係を結んだことは、血縁を重視する狩野派において、守景に高い期待と信頼が寄せられていたことをうかがわせます。
 とくに、知恩院小方丈や聖衆来迎寺客殿の障壁画制作においては、狩野派の中枢絵師に伍して、門人のうちから異例の抜擢をされており、狩野派内部で重用されていた様子が分かります。 加えて、加賀藩前田家の菩提寺である瑞龍寺は、探幽をはじめとする狩野派の主要絵師たちとゆかりが深く、瑞龍寺に残る守景の 「四季山水図襖」 もまた、狩野派の一員として参加した公的な画事であったと推測されます。
 狩野派で学習した実直な水墨表現は、守景の画風が確立するうえで欠くことのできない重要な基盤となりました。

・1. 拡大 知恩院小方丈下段の間 《四季山水図襖》 久隅守景 紙本墨画 十八面のうち西側四面 寛永18年(1641)頃 京都・知恩院

 二十一畳を敷く知恩院小方丈下段の間の襖。 下段の間は、夏景の西側四面、稲刈りと田植えを描く南側四面、水辺の村を捉えた東側六面、秋から雪景へと至る北側四面の計十八面の襖から成り、本展出品の四面は西側の夏景図にあたる。 とくに注目されるのは画面の大半を占める巨大な山容で、米点と呼ばれる技法を駆使し、丸みを帯びた山の量感を表わしている。 加えて、濃淡を使い分けることで、山々が団々と連なりながら画面奥へと続いていく様子が表現される。



国宝《納涼図屏風》久隅守景

第3章 晩年期の作品―加賀から京都へ
 探幽のもとを離れた守景は、晩年の一時期、加賀藩前田家に招かれ、金沢の城下に滞在したことが知られています。 探幽門下時代に参加した瑞龍寺の襖絵制作は、前田利常の命によるもので、加賀藩の重臣である今枝、小幡の両家に逗留したとする記録が残り、晩年の再来藩は、このときの縁が基になっていると考えられます。 一説には、この二度目の滞在は延宝年間(1673~81) のことで、五代藩主・綱紀が招聘し、今枝、小幡の両家に加えて、町奉行・片岡孫兵衛の家に寄宿し、6年間留まったとされます。 代表作の 「納涼図屏風」 や 「鷹狩図屏風」 は、この金沢滞在時代に生み出されたと推測され、守景芸術は加賀の地でさらに大きな飛躍を遂げることになりました。 そして、最晩年には京都に移住し、余生を過ごしたと伝えられます。 「加茂競馬・宇治茶摘図屏風」 は、京都の風物詩に取材した作品であり、様々な身分の人々の姿を生き生きと伝えています。
 本章では、晩年の守景が辿り着いた画業の精華を見ていきます。

・20. 国宝 《納涼図屏風》 久隅守景 紙本墨画淡彩 二曲一隻 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

 晩夏から初秋に向かう頃、瓢箪の実る棚の下に筵を敷き、男女と小さな子供が夕涼みをしている。 画面左上には白い月が浮かぶ。 当時よく知られていた。 木下長嘯子(1569~1649) 作とされる和歌 「夕顔の咲ける軒端の下涼み男はててれ女はふたの物」 を題材にしたとも言われ、ありふれた日常にこそ最高に楽しみがあるとする歌意をよく表している。



久隅守景 関連年表から抜粋

1596~1615(慶長年間)―守景、慶長年間に生まれるか。 家系や出目は不明。
1598(慶長3年)―豊臣秀吉、亡くなる。前田利長、二代加賀藩主となる。
1602(慶長7年)―狩野探幽、生まれる。
1603(慶長8年)―徳川家康、征夷大将軍となり江戸幕府をひらく。
1617(元和3年)―狩野探幽、幕府の御用絵師になる。
1624~1644(寛永年間)―守景、寛永年間の末期までには狩野探幽門下のうち有力な弟子として活躍。
1630(寛永7年)―狩野尚信、幕府の御用絵師になる。
1641(寛永18年)―この頃、守景、狩野尚信・信政とともに知恩院小方丈障壁画を制作。
            「知恩院小方丈下段の間 四季山水図襖」 を描くか。この頃、狩野探幽の姪・国と結婚したか。
1643(寛永20年)―守景の娘・雪(清原雪信)生まれる。
1650(慶安3年)―守景の息子・彦十郎(狩野胖幽)生れる。
1672(寛文12年)―彦十郎、狩野派から破門され、佐渡に流される。 雪、この年以前に結婚するか。
1674(延宝2年)―狩野探幽、亡くなる。73歳。 守景、狩野探幽死後の延宝年間(1673~81)に加賀へ行き、6年間滞在か。
1687(貞享4年)―徳川綱吉、生類憐みの令により鷹狩が禁止される。 守景筆「鷹狩図屏風」この年までに描かれるか。
1692(元禄5年)―彦十郎、罪を許され、一旦江戸に戻るが、後に再び佐渡へ。
1704(元禄17年)―守景、元禄年間(1688~1704)末頃に亡くなるか。
1730(享保15年)―彦十郎、佐渡で亡くなる。
1738(元文3年)―伊藤梅宇 『見聞談叢』 に雪の駆け落ちなどの逸話が載る。
1790(寛政2年)―『近世畸人伝』 の守景伝 「家貧なれども其志高く、容易人の需に応ずることなし」 とあり、加賀藩滞在の逸話などが載る。

 守景は17世紀に活躍した画家であるが、出目や生没年だけでなく、いずれの地で活躍し、どこで没したのかなど、基本的な事項について同時代の記録がほとんどない、いわゆる 「謎の画家」 である。


お問合せTel:03-3479-8600
サントリー美術館公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
主催=
サントリー美術館、朝日新聞社
協賛=三井不動産、三井住友海上火災保険、サントリーホールディングス
   サントリーホールディングス株式会社は公益社団法人サントリー芸術財団のすべての活動を応援しています。


参考資料:NEWS RELEASE No.sma0013、Newsletter vol.257、「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展 図録、他
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