KUSUMI MORIKAGE From Adversity, a Gentle Gaze at Familiar Things |
逆境の絵師 |
久隅守景展 |
親しきものへのまなざし |
久隅守景は、江戸時代初期の狩野派出身者のなかでも、特に異色な経験を持つ絵師です。 守景は、狩野派中興の祖として知られる狩野探幽に師事し、探幽門下四天王の筆頭と目されるまでになりました。
私生活では、探幽の姪・国と結婚し、二人の子供を儲けますが、娘の雪信は探幽の弟子と駆け落ちをし、息子の彦十郎は佐渡へ島流しになるなど身内の不祥事が続いたため、探幽のもとを離れたといわれています。 |
手掛けた作品は、山水画、人物画、花鳥画、仏画など多岐に渡り、とくに農民風俗を詩情豊かに描き出した 「耕作図」 において独自の世界を確立しました。
穏やかな自然の風景や愛くるしい子供たち、動物たちを捉えた描写からは、身近なものに注がれる温かなまなざしが感じられます。 また、何気ない日常の家族の団欒を描いた最高傑作
「納涼図屏風」 は、晩年の守景が到達した極致といえます。 狩野派の筆法を基盤にしながら、雪舟流の水墨表現とやまと絵の表現を取り入れたその画風は、当時一世を風靡していた瀟酒淡麗な
「探幽様式」 とは異なる、守景ならではの特徴を示しています。 |
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'2015 10_9 プレス内覧会の会場風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展 |
謎多き絵師 久隅守景 その画業と波乱万丈の生涯をたどる。
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「展示構成」 |
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「展示構成」 |
第1章 狩野派からの出発 |
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・1. 拡大 知恩院小方丈下段の間 《四季山水図襖》 久隅守景 紙本墨画 十八面のうち西側四面 寛永18年(1641)頃 京都・知恩院 |
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二十一畳を敷く知恩院小方丈下段の間の襖。 下段の間は、夏景の西側四面、稲刈りと田植えを描く南側四面、水辺の村を捉えた東側六面、秋から雪景へと至る北側四面の計十八面の襖から成り、本展出品の四面は西側の夏景図にあたる。 とくに注目されるのは画面の大半を占める巨大な山容で、米点と呼ばれる技法を駆使し、丸みを帯びた山の量感を表わしている。 加えて、濃淡を使い分けることで、山々が団々と連なりながら画面奥へと続いていく様子が表現される。 |
第3章 晩年期の作品―加賀から京都へ |
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・20. 国宝 《納涼図屏風》 久隅守景 紙本墨画淡彩 二曲一隻 江戸時代・17世紀 東京国立博物館 |
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晩夏から初秋に向かう頃、瓢箪の実る棚の下に筵を敷き、男女と小さな子供が夕涼みをしている。 画面左上には白い月が浮かぶ。 当時よく知られていた。 木下長嘯子(1569~1649) 作とされる和歌 「夕顔の咲ける軒端の下涼み男はててれ女はふたの物」 を題材にしたとも言われ、ありふれた日常にこそ最高に楽しみがあるとする歌意をよく表している。 |
久隅守景 関連年表から抜粋 |
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1596~1615(慶長年間)―守景、慶長年間に生まれるか。 家系や出目は不明。 |
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守景は17世紀に活躍した画家であるが、出目や生没年だけでなく、いずれの地で活躍し、どこで没したのかなど、基本的な事項について同時代の記録がほとんどない、いわゆる 「謎の画家」 である。 |
お問合せTel:03-3479-8600 |
参考資料:NEWS RELEASE No.sma0013、Newsletter vol.257、「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展 図録、他 |
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